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【れもんのE-lemon】「真夜中のハローワーク スペシャル」8月25日 ゲスト:中島浩彰さん

番組名:れもんのE-lemon
更新日:2020年08月31日

「ガッカリしないお坊さん」を追求し続けた先にあったのは「聴く力」

8月25日(火)に放送した れもんのE-lemonでは、真夜中のハローワークスペシャルとして、真宗大谷派 小野山 浄慶寺(じょうきょうじ) ご住職の中島 浩彰 さんをゲストにお迎えしてお話を伺いました。

今年3月に「GLOCAL KYOTO 水曜日」にご出演いただいて以来、半年ぶりのご登場ですが、「れもんのE-lemon」には初めてのご出演です。
番組を聴いてくださった方も聴けなかった方も、ぜひぜひお読みくださいませ。

*****

14の職種と27の職場を経験されたご住職

― 改めまして、初めてご住職のお話を聴かれる方に向けて、簡単に自己紹介をお願いします。

真宗 大谷派 浄慶寺で住職をしております。
日本の仏教はいろんな宗派に分かれていますよね。お坊さんと言うと、みんな同じことをしていてお経を唱えていると思われているかもしれませんが、宗派によって教えや本尊が違っているんです。

真宗は、お念仏「南無阿弥陀仏」で皆さんが救われますよと伝えている宗派です。
私は、お寺と皆さんが離れているなと常々感じていて、もっとお互いが近くに感じられるようなお寺でありたいなと思って、お寺を「開く」ということを中心に活動しています。


― ご住職は、僧侶になる前に多くのキャリアをお持ちでしたよね。

先日、数えてみたんですが、学生時代のバイトを含めると、職種は14、職場は27の経験をしていました。職歴のどれもが、今の自分を支えている基になってくれていますね。

当時は、高学歴で1つの職場に長く勤めるのが良しとされていました。転職が多いのはマイナスイメージが強い時代でしたが、私はいろいろしたいことが多くて、一日に3つのバイトを掛け持ちしていたこともありました。

あれもしたい、これもしたい、あれにもなりたい、これにもなりたいと思っていたので、どうすればできるのか、なれるのかを調べながらリハーサルを兼ねるつもりで、バイトとして興味のある仕事に飛び込んでいました。


―すごい数ですよね。 一般の方でもなかなかそこまでの数を経験している人は少ないのではないでしょうか?

とにかく早く家を出たかったんです。そのためには自分で食べていかなければなりません。
飢えへの恐怖から、飲食店でのバイトを必ず1つは入れるようにしていましたね。

飲食店をいろいろ経験したことで気づいたのは、いい(上質な)お店は厨房も綺麗で常に片付いているということ。調理と片付けが同時進行で、常に綺麗にされています。
忙しいのは皆同じで、手際や段取り、先を見通してできているかの問題なんです。
自分は片づけるのが得意ではありませんが、やればできるんだということを学ばせてもらいました。

横着になって後回しにしていると、だんだん片付けられなくなっていきます。
今でも、飲食店でのバイトを思い出しながらやっているとできますね。


―私も片付けるのは苦手で、もし突撃取材が来たら仕事を失うレベルです(笑)

オンとオフは大事です。仕事でちゃんとしている人が、家でもそうかと言えば違うかもしれません。メリハリをうまくつけると、過ごしやすくなるのではないでしょうか。

ここはプロであろうとするところ、人前に出す部分はきちんとしておくのが大切。店の裏側だから見えないだろう、という姿勢はお客さまに伝わってしまうものです。
これは、飲食店の厨房に限ったことではなく、どんな仕事にも言えることだと思います。

 

コロナ禍でのお坊さんのオシゴト事情

― コロナ禍で、お坊さんの日々のご法務にも影響が出ていると思いますが、お坊さんならではのご苦労などありますでしょうか?

檀家さんのお宅にはご命日の月参りで毎月伺っていますが、緊急事態宣言が出ていた頃は、普段の2割くらいはご依頼が減っていました。
それでも、他のお寺の話を聞くと、うちの寺はまだ減り方がマシだったように思います。

無防備でおおらかに迎えられるお宅もあれば、玄関先でアルコール消毒後、新品のマスクを渡され、帰りにはおしぼりとアルコール消毒を徹底されているお宅もあります。
細かく徹底されているのは、比較的お若い方ですね。

ご高齢の方は、「コロナ以降ずっと娘や息子、孫たちと会えていないのがつらい。会えると思っていたお盆も無理だと言われ、また会えなかった」と訴えられます。
「人と会えるのは、月に1度のお坊さんだけだ」と言われ、会って話すことがどれだけおじいちゃんおばあちゃんを元気にしているか、改めて痛感させられましたね。

― リモートだけでは限界がありますね

リモート飲み会はそれはそれで楽しいですが、お年寄りは誰かが横で一緒に使い方を説明してくれないと使いこなせません。

リモートと言えば、法要などもリモートでという話を聞きます。
お盆には、うちのお寺も法要のライブ配信をしました。来れない方に見てもらえたらという思いでやっているんですが、ほとんど需要はないと思っています。

法要というものは、する側の「やりたいけれどできない」という強い思いがないと無理なんです。いくら技術的にはリモート法要が可能であっても、結局、気持ちがなければどんどんやりましょうとはなりませんね。

 

大人や社会に期待を持てなかったのに、お坊さんには無意識に期待していた

― ご住職は、書籍に取り上げられたそうですね。タイトルが、「だれだっておどろく! こんなにもすばらしい10人の住職」。こちらの本のお話を聞かせてください。

タイトルを読み上げられると恥ずかしいですね。(笑)
素晴らしいかどうかは皆さんの判断ですが、何かに選ばれるというのは、どんなことでも嬉しいものですね。

私は、お坊さんや仏教に対してずっと不信が強くて、なりたくないという気持ちからスタートしています。
僧侶になってすぐの頃、本山に勤めている僧侶には、個人的にとてもガッカリしたんです。
そういう自分ってどうなんだと考えた時、別にお坊さんに何かを求めたり、期待なんてしているつもりはなかったけれど、他の先輩のお坊さんたちを見てガッカリしているということは、どこか期待していたのではないかと思い始めました。

目の前のお坊さんがどんな醜態をさらしていようが、自分がどんな扱いをされようが、その人に期待していなければ「変な人だなぁ」と思うだけで、特に気にならないはずですよね。
でも、当時の自分は「この人たちは、お坊さんなのに」と思ったんです。そこで、自分はお坊さんに何かを期待していたことに気づかされました。

そして、「自分もここにいたら、同じようになってしまうのでは?」と思った時、ショックでしたね。ならば、反面教師にしようと思い、「自分はどうすればガッカリしないお坊さんになれるのか? 自分はお坊さんに何を求めていたのだろうか?」と考えるようになりました。

私は子どもの頃から、大人や社会に期待を持てたことがなかったんです。アニメの中のヒーローに憧れている少年でした。現実社会の大人たちのだらしなさや世間の歪みに対して、絶望とまではいかないものの落胆があったことに、僧侶になって改めて気づかされました。
子どもの頃は、文句だけ言っていれば良かったですが、大人になったらいつまでもそのままではいられません。

 

「カッコ悪くない大人ってどういう大人なのか」を手探りし続けた日々

― 子どもたちから、今度は自分が同じように見られているかもしれないと。

カッコ悪い大人にはなりたくない。じゃあ、カッコ悪くない大人ってどういう大人かなと考えるようになるんですが、その答えがないんですよね。
「こうなりたくない」は見えていても、「こうなりたい」がなくて、何が足りないのかもわからず、とにかく手探りでした。

自分が嫌だと思っている、ダラダラとした大人たちの社会に飲み込まれていくと感じていて、結局、足掻くしかなかったですね。
お坊さんというのはちょっと特殊だなと思っていて、葬儀社では「先生」と呼ばれてしまうんです。私はそれが嫌でした。

― 先生と呼ばれることを好む人も一部いらっしゃいますよね。

宗派の違いもあるので、どう呼べばよいかわからず、先生と言っておけば間違いないというような業界の慣習があるんですが、そこにどっぷりつかってしまうと、先生と呼ばれることが当たり前と思ってしまうお坊さんたちもいます。

また、お坊さんは法話や説法をすることを求められる立場なので、若くても人の前でお話をする機会が比較的多いんです。
目の前の相談者の方の多くは、若い僧侶よりも遥かに経験値があって、日々の社会生活の中で様々な悩みを抱え、その苦しみを吐露したくて、答えがほしくてお寺を訪ねてこられます。

僧侶になりたての頃、身近にいた若いお坊さんたちは、相談者に対してすぐに何か答えようとしていました。
彼らの回答を近くで聞いていた私は、いつもとても「的はずれ感」を感じていましたね。

相談者の方が年齢が高く、持ち込まれる様々な悩みというのは、いろいろ試行錯誤して熟慮を重ねたうえで、それでも相談したくて来られているのに、若いお坊さんから返される答えが表面的なマニュアル通りで、「そんなん、もう皆やってるねん。そんなこと、もうわかってはるし」と思うような回答に聞こえたんです。

 

「聴く力に長けたお坊さん」がズラリ!

― なるほど、苦々しく思っていらっしゃったと。そして、どうすれば「的はずれな回答」にならないかを、ひたすら追求してこられたんですね。

ええ、そうですね。彼らの姿を見て気づかせてもらったのは、「お坊さんは、訊かれる側に慣れすぎていて、聴くことに慣れていない。答えることにばかり気がいっている」という現実でした。

相談者は、「答えが聞きたい」と言って来られますが、本当は答えがほしいのではなく、仕事でも生活でも恋愛でも、自分の心の中に答えはあるんだと思います。
「心の吐露」を受け止めてほしいと思って来られる人が多いんです。自分の求めていることを言ってもらえると納得されますが、違うことを言われるとたいていは拒否したり、そんなことわかってるわ、という反応をされます。

回答ではなく、聴いてもらえることが重要なんです。話す内容によっては、人を選んでいて、
誰にでもは話せないというときに、「お坊さんだったら話してもいいわ」という心持ちで来ていただける。
これって、とても特殊なことだと思うんです。

― 書籍に選ばれた10人のお坊さんは、出版社おすすめの「聴く力に長けたお坊さん」ということですね!

さすが、うまくまとめられますね!
ここに載っているお坊さんは、男性も女性もいて様々ですが、共通点は「活動されている」ところです。
さっき私が話した「残念なお坊さん」ではないお坊さんです(笑)

実はお坊さんの世界って、繋がりはあまりありません。横の繋がりも薄いですね。
さらに、熱心に活動しているお坊さんは、自身の活動の方に真摯に熱心に取り組むがあまり、そちらにばかり目が向いていて、周りのお坊さんの活動まで気づけずにいることが多いです。

この本の中には、「月間住職」編集部の方が全国のお坊さんを訪ねて、情報を集めて選ばれた10人のお坊さんが紹介されています。

 

心の息苦しさは、取り方ひとつで変わる

― この機会に、ぜひ実際にお寺へ足を運んでいただければと思います。最後にリスナーの皆さんへメッセージをお願いします。

コロナの息苦しいような時代かもしれないが、それは単なる「心の働き」です。
悲しい、苦しい、つらい という感情も、肉体的・身体的におこなっていることも、実際に痛みを感じているのだけれども、心で感じていることは取り方ひとつで変わっていきます。

そういう知恵が、仏教にはあります。
実際に窒息しそうな病気にかかって苦しいのは、ちゃんと病院に行って治してもらわなければなりません。でも、コロナ禍で、世の中の空気として苦しい感じの人は、楽しいことをどうしたら見つけられるか、そういうところを時間をかけて探してもらえたらいいと思います。

― 中島さん、どうもありがとうございました。


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書籍情報

『だれだっておどろく! こんなにもすばらしい10人の住職』
 『月刊住職』編集部 編/ 興山舎 /本体価格 2,000円+税

<ご購入方法>

①大垣書店さんをはじめ、お近くの書店でお取り寄せ(送料不要・日数がかかります)

②浄慶寺さんで直接購入(送料不要・その場で手渡し)

③興山舎さんのサイトから予約(1冊の場合、送料300円)
https://kohzansha.com/mou-syosek.html

 

浄慶寺さんで 9月に開催予定のイベント

・第210回『ぶっちゃけ問答』 (9月16日開催)
https://www.facebook.com/events/778565112684351/

・夜聞願堂3rd Season『阿弥陀経』遍3 (9月15日開催)
https://www.facebook.com/events/3373218999402041

・夜聞願堂3rd Season『仏法僧』(業と善悪)遍3 (9月24日開催)
https://www.facebook.com/events/595688927987030/

 

ご住職の中島さんへのご相談や、お寺に直接書籍を買いに行きたいという方は、お気軽に下記までどうぞ!

■真宗大谷派 小野山 浄慶寺(じょうきょうじ)
 中京区御幸町通竹屋町下ル松本町563 
 TEL:075-211-0442
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